心が揺れるのは生きている証

このブログは人生の転換期を迎えた私が、転換期とは知らず、もがき苦しみ、道の途中で新たな生き方&思考・新たな自分の構築を模索しながら生きてきた証です。(現在進行形)


いわゆる魂の修行なのかもしれない。

同居人との話の流れで、『(友人?)Nさんは、「俺は、そう思わないんだよね~」て言うんだけど、少し前までのRinちゃんと同じこと言ってるから、Rinちゃんに聞いてみたくて…』と、どう思うかを聞かれました。

それで、私が出した答えは、『自分の理想論(いい子ちゃんで、いたいための上辺の気持ち)で答えてしまっているんだけれど、自分で、それに気付いていなくて、理想論で答えてしまっている』でした。

どうやって、以前の状態を乗り越えたのかを聞かれた時の答えですが、『いじめられている自分を見て、蔑んで喜んでいる自分がいることを認めてから(あるブログで見つけた文章が、しっくりきて、これだ!と思った第三者視点の自分発見)、自分を大事にしようと思って、自分のわずかな気持ちも認めて頭ナデナデしてあげてって感じ』

『ただ、今まで自分をいじめて自分を拒否して生きてきたわけだから、いきなり自分を大事になんて出来ないわけで…。だから、自分が今、本当は何を思っているのかを自分で探ってあげる作業をやってきた(私が勝手に師事している方々のマネ;)。見ず知らずの他人にブログを使って説明したりで鍛えてきたわけで…』と言いました。

(実際の言いまわしは少し違ったかもですが…大体合ってるはず)



話の流れで、分かったことは、、、

相手の気持ちに立って考えることが出来る人っていうのは、上辺だけで考えて…ではなく、、、

自分の醜さや悪い部分と闘い、また、それらの部分を自分で認めて受け入れてあげ、不完全なガッカリする自分を乗り越えてきた人だと思いました。

それに達するには、本当の気持ちだと思い込んでいる、上辺の気持ちの下に奥深く沈みこむ自分の本当の気持ちを(土を掘り起こすように)上へ上へと引き上げてあげ、わずかな気持ちであっても、『こう思ったんだね。(頭ナデナデ)』と自分で受け入れてあげ認めてあげる作業が必要。

この作業は、他人が変わりにやってあげることは不可能で、自分でやるしかありません。
しかも、極端な話、『もう、死ぬしかないんじゃないかな…』というところまで追い込まれた時(きっかけ)に、初めて、取り掛かれるもので(私や周囲の人の場合)、、、

自分と向き合わず自分を認めず自分から逃げている人には、成し遂げられない事なんだな~と思いました。

これらは、いわゆる魂の修行なのかもしれません。


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