心が揺れるのは生きている証

このブログは人生の転換期を迎えた私が、転換期とは知らず、もがき苦しみ、道の途中で新たな生き方&思考・新たな自分の構築を模索しながら生きてきた証です。(現在進行形)


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あなたは私で、私はあなた。

スピ的に考えると、過去の私の生き方・考え方を彼が見せてくれていると言える(彼と私は業胎の関係)。

過去に私が、やってしまったことが返ってきた因果応報だと思っている部分もあり、逃げずに受けてきた。


○生き方・考え方も含め自分が正しいと思って、やってきたこと。

→自分が完璧主義者の傾向があって、『まだまだ未熟』だとか、『もっと成長して上に行きたい』という向上心があった。

“筋道を通すとか、義理人情を持つことが大事”という記事を雑誌か本かネットで読み、すごく印象強くて鵜呑みして実践してきたり。
その反面、完璧に出来ていない不出来な部分を指摘されると、『人間完璧な人なんていないから~。自分も、まだまだだけど…』の言葉で逃げたり。

言っている本人は、言葉で逃げているなんて思ってなくて、本当のことを言っているつもりなんだけれど、、
自分だって完璧じゃないと自覚しているなら、相手の完璧じゃないこと(不出来な部分)も仕方ないよな…と諦めろよ!許せよ!と、今は思う。

これを認められないのは、自分の不出来さを認めることは出来ても、受け入れることが出来ず、『まだまだ未熟…』と自分を否定しているからだろ!って、思う。



○それを身近な相手に、やることで、受けた側にとって、どういうことだったのかを身をもって知った(因果応報)。

→すごく苦しいしイヤ。鬱陶しい。あなた何様!?
自分だって不出来だと自覚している(心の弱い部分)触れられたくない部分を突き詰められる寸前になると、顔を背けて回避行動をとって避けようとするくせに(怒)何なの!?

と、今の私が思うということは、私にやられた相手も同じか、それ以上に苦しんだりイヤだったり悲しく辛かっただろうな…悪いことをしてしまったな…と思った。



○自分が言っていることを間違っていると言ってくれる人がいない。

『今まで、聞く人聞く人に間違ってると言われたことが無くて、誰に聞いても自分が言ってることが正しいと言われてきたから、それで良いんだと確信してしまって直そうにも直らない』

→理論上、正しいことと、それをやっていいかどうかは、また別。
(正論を言う人は嫌われるという記事、どこかのサイトにあった)



○私は後だしジャンケンの様なことをしていたことがあった。

彼は、『俺はやったことない』と否定していたけど、思い返すとやってる。
買物して、店を出た時に、なぜか『買い過ぎたね』と彼が言って、『自分の好きなもの買ったから仕方ないね』の私の言葉で、話が終わる。
カゴに入った品物を彼は計算し大体の金額を当てられるのにもかかわらず、なぜか買物終って店出た直後に、こういう会話を過去に何度も出している。

何についての話かを私に言わずに、大まかなこと(概要)だけを言い、私が「分からない」とか他の言葉を言うと、見当はずれだったのか、こうこうこういうことを言っているんだよ!?何で分かんないの?みたいに、分からない方がおかしい的な言い方をしてきたのだが…彼の記憶からは消えているらしい。

私の場合は、彼と同じ上記の会話をしていたことがある。
どんだけ、自分が上でいることに必死だったんだよwって今は思う。
上とか下とか無いのにバカみたい。



○相手に自分の正しさ(正論)を押しつけることで、自分が何から逃げていたのか。

→自分の人生と向き合うことから逃げていた。
私的にはマジで、これだった。

また、「自分が正しいと思っている攻撃者」になっていたということ。


自分が過去にやってしまったことを素直に認め、受け入れた上で、冷静に振り返る事が出来るようになった。






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