心が揺れるのは生きている証

このブログは人生の転換期を迎えた私が、転換期とは知らず、もがき苦しみ、道の途中で新たな生き方&思考・新たな自分の構築を模索しながら生きてきた証です。(現在進行形)


お詫び:奇形児記事について

不快な思いを抱いた方、コメントした方へお詫び申し上げます。
申し訳ありませんでした。

正直な理由を書いたとしても、理解は得られないだろうと思ったこと、、

また、コメントした方自身が、奇形児に対して偏見を持っていることを棚上げした上で正義感を出し糾弾している、おかしな日本人のコメントだと勝手に思い込み、『自分は悪くない!』という気持ちと共に、コメントした方に攻撃に出てしまいました。

(“悲しみますよ”の言葉が出るということは、その方自身が奇形児に対して偏見を持っているからこそ出る言葉だと思いました。
また、奇形児が生れたら喜び神聖なものとする価値観や文化を持っている国の方なら、もっと別の言い方や言葉を使うだろうと思いました。)

もっと、簡単に言語化するならば、、
偏見を持っていながら、ご自分のことを棚上げし、心のズルさを露呈した、“正義を語った悪”(善のような悪)のコメントだと感じたので、怒りに震えてしまった、ということです。


(普通の人たちは、“正義を語った悪”(善のような悪)に簡単に騙されてしまい賛同してしまうのですが、私はすぐに見抜いてしまうタイプでしたので…という感じ / 石井ゆかり著書・魚座より引用しました)

ただ、今思えば、日本語で書かれているからといって、日本人とは限らないわけで、私自身も先入観や固定観念で決め付けてしまっていたな…と反省。




・奇形児記事を書いた理由について


最初は個人的に興味があって奇形児画像を探していました。
その後、ブログに書きたいと思いだしたのですが、書き方が分からず…。
それで、お手本の記事のいくつかを探し見て、『あ、こういうふうに書けばいいんだ♪』と素直にマネたかたちでした。

その記事に、ある日、思いがけないコメントが付きました。
(まさか自分のブログを読む、物好きがいるなんて…誰かがコメントするなんて思っていなかった)

“消して下さい!
見せ物のように書かないで下さい。産んだ人が悲しみますよ。”

この時に思ったことは、『消してって言われても、奇形児記事削除=自分の精神状態の記録も消えるということで、それは飲めない。それに命令されるの嫌いだし』…でした。
それとともに、自分の中の強いこだわりがあり、そのこだわりをなかなか手放すことが出来ませんでした。

記事ごと削除したのは、コメントが伸びていて面倒になったからですが…
そこに、タイムリーなことに日常生活上、何度かのキッカケが起こり、上記の、こだわりを一部手放すことが出来、今回お詫びするに至りました。

私たちは、先入観や固定観念で物事を判断しがちですが、、
自分が、『どうせ、こうなんだろう…(もしかしたら、こうかもしれない)』と決め付けてかかっていたことをよくよく確かめたら、実際、今回のように自分が勝手に思い込んで決め付けていただけ(かも)という時が、あると思います。
(誤解や思い込み)

あとから、くっつけた状況証拠や現実的な理由が手に負えない大きな岩になる前に、よく確かめ合う癖をお互いに身につけると良い流れを掴めるかもしれないな…と思いました。

今回のご指摘により、今までとは、また違った箇所に焦点を当てることが可能なこと・今まで見えなかったものが見えることに気づき、今後の情報収集に役立つ収穫があったことを感謝いたします。

今後、きわどい記事を書く時は書き方や配慮に気をつけ、UP前に今一度よく考えて掲載したいと思います。




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